「力強く演奏したい!」という悩みは、ロックドラマーなら一度は通る道です。
そこで、今回はスピードとパワーのバランスを兼ね備えたお手本にしたいドラマーとして、コージー・パウエル(Cozy Powell)を取り上げます。
目次
HR/HMの枠を超えたオールラウンドドラマー
まずは、コージー・パウエルの代表曲を紹介!
コージー・パウエルのドラム特徴
コージー・パウエルのドラム演奏によくみられるパターンである
- 16分音符のスネア「タカタカタカタカ」
- バスドラ&クラッシュ「ドコドコドコドコ」
と言ったリズムは、今やツーバスドラマーがついついやってしまうフレーズですが、これはロックの分野において彼のショウマンシップにより編み出され、広く影響を与えたものだといっても過言ではありません。
また「華のあるドラマー」であったところも疑いようがないでしょう。
演奏している姿はスタイリッシュ、かつオーバーアクションで「魅せる」演奏をしているのも特徴のひとつです。
力任せに叩いている訳ではないのも魅力の一つ
コージー・パウエルは動きが多く、一見力任せに叩いているように見えますが、しっかりと脱力し、芯のある音色を発していました。
また、ドラマーとして高めるべき技術である
- タイムキープ
- アクセント
- ビート感
の能力が非常に高く、それゆえに多くのミュージシャンから重宝されました。
いわば他のパート担当のかたからすれば「一緒に演奏しやすい」ドラマーであったのは間違いありません。
ハード・ロック界で知らぬ人はいない最強のドラマー
①コージー・パウエルの経歴
コージー・バウエル、本名コリン・フィリックス(Colin Trevor Flooks) 1947年生まれ。
12歳のときに通っていた学校のオーケストラで担当パートがドラムとなったのをきっかけにキャリアをスタートさせました。
バンド活動を続けるうち、THE MOVEのベーシストであるエース・ケフォードの「Ace Kefford Stand」などに参加、セッション・ドラマーとしても活動していきます。
②Jeff Beck Groupへの参加し、最高のデビューを飾る
彼が世界的に知られるようになったのはJEFF BECK GROUPへの参加でしょう。
グループとしては第二期にあたり、ブラックミュージックとしての雰囲気が色濃い時期です。
ですが、バンドメンバーチェンジなどでグループは途中で解体してしまいます。
そのあいだも彼はセッション・ドラマーとしての活動を続けるほか「Cozy Powell’s Hammer」という自身の名を冠したバンドや「BEDLAM」「STRANGE BLEW」などリーダーバンドで音楽へ精力的に励みました。
③RAINBOWに加入。世界を代表するドラマーの一人に。
その後、『DEEP PURPLE』に在籍したことでも知られるギタリストであるリッチー・ブラックモアが実施したオーディションを経て、1975年にRAINBOWに加入。
第2期RAINBOWを支えるドラマーとして活躍します。
バンドとしても代表作である『RAINBOW RISING』(邦題:虹を翔ける覇者)(1976)に『Stargazer』を収録。
凄まじさに世界中のドラマー・リスナーを圧倒させました。
さらに、彼の代表作であるソロ作、COZY POWELL『OVER THE TOP』(1979)を発表。
こちらにはRAINBOWのライブでも披露したチャイコフスキー×ドラムソロとのリンク曲『序曲1812年』が収録されています。
④勢いは止まらず。数々の名だたるアーティストと共演。
RAINBOWでの活躍は音楽業界内外にとってインパクトが強いものでした。
1980年代はコージー・パウエルにとり文字通り「駆け抜けた」10年間となります。
共演したミュージシャンを列挙していきましょう。
- グラハム・ボネット(RAINBOW Vo.)
- ロバート・プラント(Led Zeppelin Vo.)
- Michael Schenker Group(1981-82)
- WHITESNAKE(1983-84)
- EMERSON,LAKE & POWELL(1985〜86)
- BLACK SABBATH(1988-91、1994-95)
90年以降には、高速ギタリストとして知られるイングヴェイ・マルムスティーンなどとも共演。
1992年にはQUEENのギタリストであるブライアン・メイの1stソロアルバムでもドラムを担当しました。
コージー・パウエルの性格と”意外な特技”
コージー・パウエルは性格に”難がある”人物だった?
コージー・パウエルは、自分に正直かつ音楽に対して実直な職人肌な性格として知られています。
一方で、その性格が災いして「バンドメイトとの関係が上手くいかず、長く一箇所のバンドに留まらなかった」とも言われています。
この気質から付けられたあだ名が「スティックを持った渡り鳥」でした。
コージー・パウエルの特技と死因
コージー・パウエルは、1998年に交通事故で帰らぬ人となります。享年50歳でした。
遺作は同年発売のブライアン・メイのソロ名義2ndアルバム『Another World』。
また、彼はモーターレーシングに詳しい優秀なドライバーとしても有名でした。
レーサーへの転向を考えて、一時期には音楽から離れようとしたほどだったとも言われています。
一説によると、酩酊中に高速道路で猛スピードで走行中に、携帯電話で通話していたことに起因する前方不注意で中央分離帯に衝突した自爆事故。
大口径セッティングを繊細なスティックコントロールで鳴らしきる超人
デビュー当時は、ラディックを使用していた
コージー・パウエルの愛用スネアは、ラディックの「スーパーセンシティブ#411」(14インチ×6.5インチ)。
素直な音色で音量も大きいモデルで、デビュー当時から愛用していたようです。
そして彼はRAINBOWに加入する訳ですが、リッチー・ブラックモアは爆音志向のギタリスト。
その要望に対応できるよう、太鼓を「鳴らしきる」方向性にシフトしていきます。
ドラムセットは左右対称シンメトリー!美しいセッティングへ
デビュー後よりラディックのユーザーでしたが、RAIBOWの終盤ではヤマハを使用するドラマーとなりました。
当時の最新モデルであるバーチ材による「YD-9000レコーディング」(YD9000R)。
カラーリングはミラー・クロームとソリッド・ブラックを主に採用。
胴面が煌めきステージ映えするセットで、見ているだけでもワクワクするようなドラムセットでした。
タイコ類は2タム2フロア。
彼のトレードマークのひとつである26インチの巨大な2つのバスドラは、ほぼノーミュートの状態でウッドビーターを使用。
椅子は低めにセッティングしていました。
スティックと、スティックの握り方
スティックは特定のモデルをつかっていなかったようで、17.5~20mmと太いモデルを多く使用しています。
主に使用していたのはラディックの「L-3S」(17.5mm×416mm)。
そして、気になるスティックの握り方ですが、RAINBOW後期以降はロック・ドラマーに多い手の甲を上に向けるマッチド・グリップではなく、レギュラー・グリップ(トラディショナル・グリップ)を多用しています。
レギュラー・グリップを多用しているのは、彼がオーケストラ出身という背景もあるのでしょう。
そして、ラディック「L-3S」はマーチングドラムでも用いられる機会が多いモデルであることはつまり「力任せに叩いているのではない」という仮定を裏付けます。
実際に彼のドラム演奏を後ろから見た方からの証言によると「ものすごく軽く叩いていた」そうです。
レコーディングでは、22インチのバスドラを使用していた?
実際にコージー・パウエルは音源のレコーディングでは、標準的な(≒録音しやすい)22インチのバスドラを使っていた、というのは事実です。
ですが、これは比較的せまい室内で大きな音を出したら音の逃げ場がなくなってしまうから、だと思います。
大会場でのコンサートにおいては、
- PA技術を補うために音量を稼ぐ
- 見た目のインパクト
という理由から、大口径のドラムセットを使用していたと思いますが、TPOを理解して最高の作品を作っていたのですね。
コージー・パウエルの必聴アルバム3枚を紹介!
JEFF BECK GROUP『Rough and Ready』(1971)
RAINBOW『RAINBOW RISING』(1976)
COZY POWELL『OVER THE TOP』(1979)
amazon prime musicはPrime会員なら無料!お得に音楽を聴こう
amazon prime musicを使えば、200万曲以上を高音質&聴き放題!
Prime会員なら無料で利用できるので、一度お試しで使ってみてはいかがでしょうか?
ちなみに、prime会員の特典としては、
- 配送料無料
- お急ぎ便&日時指定無料
- Primeビデオで映画やドラマが見放題
- Prime Musicで音楽が聴き放題
- Prime Readingで無料で本を読める
- Primeラジオが聴ける
- Kindleが4000円引きで買える
- Kindle本が月1冊無料
と、かなりお得!
音楽だけでなく、映画も電子書籍も見れたり、amazonでの買い物送料が無料にもなりますよ。
また、下記記事で「Primeビデオで見れる音楽映画54作品」や「amazon musicの使い方&スマホへの保存方法」も紹介していますので、登録後に色々お試しください!
日本国内で私設ミュージアムも今なお衰えない人気
コージー・パウエルの影響力や人気は、死後20年ほど経つ今なお衰えていません。
現に、2019年には日本・岡山県岡山市でコージー・パウエルの私設博物館が建てられるほどの熱狂的なファンを持っています。
なかなか大型楽器店でも大口径のドラムセットを見ることはできませんので、岡山に行かれる際は寄ってみるのもいかがでしょうか。