ジャニーズと言えば、ジャニーさん。
しかし、2019年ジャニーさんは帰らぬ人となりました。
お別れの会では、全国・世界からおよそ9万人が集い、一時ニュースはジャニーさん一色になったほどです。
今やジャニーズ事務所を知らない人はいないと思いますが、創設当時は小さな小さな事務所からのスタートでした。
では、そんなスタートからどのようにしてジャニーズを発展させていったのでしょうか?
今回はジャニーさんの功績を追いながら、ジャニーズのアイドルバンドについてお伝えしていきます。
目次
ジャニーさんは常に日本のエンターテイメントの先端を見ていた人
演歌支流の世の中で生まれたアイドルは野球少年たち
当時ジャニーさんは近所の少年野球チームの監督をしていましたが、そのチーム名こそ「ジャニーズ」でした。
野球の実力はというと、あまりにも弱いチームだったため、練習より観劇をさせていたそうです。
そんな中、本格的にショービジネスを立ち上げたいと思っていたジャニーさんは、野球チームの初年たちに声をかけ日本初となる男性アイドルを誕生させることになります。
チーム名そのままの「ジャニーズ」としてデビューしたメンバーには、水戸黄門の助さんを演じた事もあるあおい輝彦もいました。
初のアイドルロックバンドの誕生とは?
ANKH(アンク)はジャニーズ初のアイドルロックバンドです。
1980年の第3回24時間テレビのイメージソング「イマジネーション」を担当しました。
今の24時間テレビでいう「サライ」のようなイメージです。
ANKHのメンバーはアイドルロックバンドということもありメンバー全員が人気があり、解散後もヒーロー戦隊でデビューするメンバーもいたほどです。
ジャニーさんがいなかったら…野村義男はギタリストじゃなかった?
野村義男は「リズムが悪い」落ちこぼれだった??
野村さんがアイルドル時代を振り返ってお話されていた時のことです。
- 「ダンスも歌も下手。アイドルとして欠点だらけだった。」
- 「当時ギターに夢中だったが、そのギターも下手だった。」
と、意外な事実を自ら明かしています。
ジャニーさんからも「リズムを大事にしないとだめ」と何度も怒られた記憶があるそうですが、その言葉を愛情と受け留めギターはやめなかったからこそギタリストを続けられたと語っています。
THE GOOD-BYEのギター・ボーカル担当からバンド活動を開始
そんな野村さんですが、ジャニーズ事務所に所属中にバンドを結成しデビューもしています。
アイドルからロックバンドへの転身が、今のギタリスト野村義男を誕生させたと言ってもいいでしょう。
また、現在音楽プロデューサーとして活躍している野村さんの原点は、後輩グループである「少年隊」のデビュー曲「仮面舞踏会」のカップリング「日本よいとこ摩訶不思議 」の作詞・作曲を担当したことでした。
後にこの楽曲は嵐がカバーして話題となりました。
THE GOOD-BYEは活動休止したりメンバーチェンジをしていますが、2019年に35周年を向かえ活動し続ける長寿バンドです。
意外な”あの人”も!ジャニーさんが造ったバンドグループ
俳優でお馴染みの岡田准一もバンドをしてた!
日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞するなど、演技面でも功績のあるv6メンバーの岡田準一さん。
実は、かつてユニットでバンドを組んでいた時期もありました。
V6はデビュー当時は活動内容によって
- 20th Century(トニセン)
- Coming Centyry(カミセン)
として分かれて活動することがありました。
そのカミセンメンバーで、
- 三宅建さん(ベース)
- 森田剛さん(ギター)
- 岡田准一(ドラム)さん
で、バンド「MiMyCEN(ミミセン)」を結成していたのでした。
男闘呼組はカッコいいアイドルだった
本格的なロックバンドを造りたいという考えがあったジャニーさんは、当時ジャニーズJrのメンバーに相談「カッコいいバンドを造りたいんだけど良い名前ないかな?」と相談します。
「社長が少年に相談する」というシチュエーションは、ジャニーさんだから成立することですね。笑
なんともジャニーさんらしい経緯から男闘呼組が結成されますが、ジャニーズにはない要素で「男臭さ」を前面に出したバンドは人気でした。
サマーソニックに出演!TOKIOはアイドルの域を超えたバンド
夏のロックフェスといえばいろいろありますが、サマーソニックは誰もが知るフェスですね。
ロック好きが集まる夏のお祭りでありコアなバンドから有名海外バンドが参加することで注目もあります。
このフェスに、アイドルというジャンルから初の参加を決めたのがTOKIOでした。
バンド形式のグループはコンサートでしか見られない?
関ジャニ∞のドラム担当・大倉忠義がスゴイ!
関ジャニ♾もバンド形式で曲を披露するグループで、ドラムを担当しているのが大倉忠義さんです。
そんな大倉さんがドラムを担当するきっかけは、ジャニーさんから「バンドをやって欲しい」と頼まれたことなんだそうです。
ドラム未経験でダンスがやりたかった大倉さんは一度断りますが「デビューできるチャンスかもしれない!」とドラムを1ヶ月猛特訓し再度ジャニーさんに直談判したという経歴があります。
初めは色々と苦労したようですが、2015年の音楽フェスに参加するなど本格的にバンドとして楽曲を披露するようになると大倉さんのドラムのレベルが高いと評判になり、今では太鼓の達人が上手いことでも有名ですね。
Hey! Say! JUMP もバンドでパフォーマンスすることがある!
実は、ジャニーズのHey!Say!JUMPもバンド演奏することがあります。
- 中島裕翔さん(ドラム)
- 八乙女光(ベース)
- 伊野尾慧(キーボード)
- 岡本圭人(ギター)
で構成されていて、楽曲によっては山田涼介さんがサックスで参加したりする「JUMPバンド」も見所です。
嵐・二宮和也はドラムセットがある時期もあった!
嵐の中で作詞・作曲できるメンバーは二宮和也だけ!
世間ではゲーマーなイメージが強い二宮さんですが、音楽センスもあるんです。
- 「それはやっぱり君でした」
- 「1992*4##111」
- 「メリークリスマス」
- 「Gimmick Game」
- 「どこにでもある唄」
- 「20825日目の日」
では、作詞・作曲を担当。「メリークリスマス」ではギターを演奏しながら唄っています。
また結成10周年に発表された「5×10」ではメンバーから出してもらった「ファンへの想い」や「嵐としての想い」を言葉をまとめ二宮さんが作詞しています。
ピアノは「バンドやろうぜ!」を読んで独学で取得していた
ソロ曲「虹」をライブで披露する際、グランドピアノの弾き語りをしたこともある二宮さん。
実は、ピアノは習った事がなく独学だったことを明かしています。
しかも…「バンドやろうぜ!」を読んで地道に取得したそうです。
ジャニーさんの「YOU、やっちゃいなよ」は不思議なパワーがある!
ジャニーさんは、ジャニーズ事務所所属のタレントを育てただけでなく、新たな日本の「エンターテイメント」や「音楽」を生み出すきっかけを作った偉大な方です。
その中でも「YOU、やっちゃいなよ」という言葉は、ジャニーズの発展に大きく貢献していたと思います。
この言葉は、一見フランクでどこか無責任な感じがしますが、言われた側にとっては、こんなにもシンプルで、嬉しく勇気付けられる言葉はないのでは?と思っています。
また、「ジャニーさんに言われたから、当然嬉しいでしょ!」とも感じますが、誰かに後押しされることほど勇気を貰えることはありません。
原石を見つける才能に富んでいるだけでなく、家族のような関係性でいる。
この関係性があってこそ、今のジャニーズがあると感じています。